ドイツ正規留学を振り返って [留学準備から卒業までをすべて記す] [修士課程]

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この記事では、私がドイツ留学を志した理由からはじめて、留学 (修士課程) を通して経験したこと、感じたことを事細かにまとめています

留学を考えている人、これから留学に行く人のためになれば幸いです。ちなみに、私の学部時代の専攻は機械工学で、修士では計算力学 (有限要素法や数値流体力学といったシミュレーションの分野。授業や試験はすべて英語) でした。

ドイツを目指したきっかけ

日本の理系学生 (学部生) の進路と言えば、日本の大学院に進学するか、学部卒で就職するかの二択が主流だと思う。

私が以前所属していた関西大学の機械工学科はまさにそんな感じで、ほぼすべての学生が院進学か就職をしていた。私自身もその二択が当たり前だと思っていて、学部3年生の時は院進学か就職か、どちらにしようか考えていた。「海外の院」なんて単語は頭の中になかった。

では、そんな私がなぜ海外の大学院に興味を持ったのか。それは学部時代のアメリカ留学にある

私は大学4年生を休学して、アメリカのシアトルに1年間留学をした (2015年の4月から2016の3月まで。実はそれ以前にも、学生プログラムで海外を訪れていて、海外にはいろいろと興味を持っていた)。

アメリカ留学をした理由は、単に英語力を上げたいという無難なものであったが、それ以上に、自分の進路を決めるのにもっと時間が欲しいという気持ちがあった

というのも、当時の私は日本の新卒一括採用に違和感を覚えていた。とくに、仕事内容や勤務先がわからないまま就職すること、それから初任給が一律であることにすごく疑問を持っていた。

それに加えて、このご時世、大企業に就職できたとしても40代後半になってリストラされる可能性だってある。そういったことを考えた時、「仮に修士課程に進んだとしても、進路決定を2年先延ばしにしているだけだ。会社から選ばれるくらいの人材にならないとダメだ」と思わずにはいられなかった。

そして、「英語で仕事ができる技術者」というのが当時の自分が出した1つの答えであった。(実際には、アメリカ留学前にTOEIC900点くらいあったのだが、そんなものではダメだと思っていた。)

さて、話をアメリカ留学の方に戻そう。

留学プログラムは、学部の授業を受ける(Bellevue collegeという地元の大学)、それから現地で無給のインターンシップをするというものだった。ここではあまり長く書かないが、留学したことで人として成長できたし、また、留学仲間に感化されて、最低でも修士号はとりたいと思うようになった。

今振り返ってみると、授業自体はCourseraやedXといったオンラインコースでよかったのではないかと思う。一方で、人との出会いというのは、オンラインでは得られない経験だった。中でも、アマゾン本社でエンジニアとして働く日本人と話をした時のことは忘れない

その人曰く、アメリカでは空き/新規の枠があって、そこに人を雇うのが一般的。日本のような新卒一括採用はない。そして、エンジニアの給料はアメリカの方がいい。特に情報学系のエンジニアであれば、最初の年から年収1500万円もらっていたりする (アメリカは日本以上に学歴社会だということも言っていた)。

その人の話を聞いて、自然と心が躍った。「アメリカでエンジニアとして働いてみたい」と思わずにはいられなかった。その勢いで、アメリカの大学院それから現地就職について調べてみた。しかし、自分には厳しい道のりだとすぐに悟った。

というのも、アメリカの大学院に進学している (とくにトップ校に合格している) 人は、東大や京大、早慶出身でしかも成績優秀という人ばかりだった。

ほかにもいろいろと調べてみたが、GPAは3.0ないと厳しいというのが、だいたいの感じであった。関西大学でしかもGPAが2.8しかない私には無理だろうと思った。

そんなある日、ブラジル人の友達にドイツの大学をおすすめされた (厳密にはミュンヘン工科大学とベルリン工科大学)。

彼からは、ドイツの州立大学は授業料が無償/格安 (州によってはEU圏外の学生から授業料を徴収) ということ、英語で開講される修士のプログラムがあること、DAADという団体が奨学金を出していることを教えてもらった。

それから、GPAが3.0なくても志望動機や推薦状で挽回できること (彼は実際それで受かった)、ドイツにおけるエンジニアの社会的地位が高いこと、エンジニアであれば就労ビザが比較的おりやすいことも教えてもらった。その話を聞いて、「ドイツいいな」と思ったのである。

アドバイス
海外の院に進学すると聞くと、すごくハードルが高いように思われるかもしれませんが、私は誰にでも可能性があると思っています。日本の最上位の大学を出ていなくても、成績がとびきり良くなくても、探せばいくらでも道はあります。

ドイツ留学準備

ブラジル人の友達と話をしてから、ドイツ留学の情報を調べ始めた。まずはDAADのホームページに行き、英語で開講されている修士のプログラムを探した (準備は2015~2016年にかけて)。

興味を持ったのは、ミュンヘン工科大学のComputational Mechanics (計算力学)、ルール大学ボーフムのComputational Engineering (計算工学) というプログラムだった。理由は簡単で、ブログラムの内容 (シミュレーションの分野を学ぶこと) が自分のやりたいことと合っていると思ったからだ。

ちなみに、機械工学の修士課程も探したが、英語だけで開講されているものは見つけることができなかった。これはあくまでも私のイメージだが、従来の機械系と電気系の学部はドイツ語押しという大学が多い (仕事もそう)。一方で、情報学系などは英語の場合が多い。

留学 (特に正規留学) を経験された人にはわかっていただけると思うが、留学準備というのは骨が折れる。出願に必要な書類やビザのこと、家のことなど、基本的にすべてのことを自分でやらなければならない (私の知る限りでは、ドイツ留学を専門としているエージェントはない)。

さらに、周りに自分と似たような境遇の人はおらず、インターネットで探しても前例 (修士からのドイツ留学) がなかった。実際、ドイツ留学がどんなものなのか全く実感がわかなかったし、卒業後の進路についても謎であった

正直な話、「こんなに無理して準備しないで、同じ大学の大学院にいけばいいじゃん。推薦もあるし」と何度も思った。それでも、「今挑戦しなかったら一生後悔するだろうな」と思い、たんたんと留学準備を進めた。

タイトル
海外院進学を考えている人は、なるべく現地語/英語で情報を調べましょう。日本語で調べても、自分が必要としている情報にたどりつけないことが多いです。ささやかではありますが、「理系学生のための留学の手引き [留学経験者からのアドバイス]」という記事に、お役立ち情報やサイトなど、いろいろと情報をまとめてあります。

出願、そして合格発表 [大学卒業から留学開始まで]

いろいろと自分で調べた結果、ミュンヘン工科大学、ルール大学ボーフム、シュツットガルト大学、ドルトムント工科大学の4校に出願することにした。

ミュンヘン工科大学は記念受験だと思っていて、本命はルール大学であった。いや、ルール大学でも少し背伸びしている感じはあった。シュツットガルト大学とドルトムント工科大学に関しては、自分のやりたい専攻と少し違ったので、もし受かったその時考えようという感じであった。

出願締切は、シュツットガルト大学 (2月)、ミュンヘン工科大学とルール大学 (3月)、ドルトムント工科大学 (4月) の順であった。

奨学金の方は、私の準備不足もあり、DAAD奨学金とJASSOの奨学金の2つだけにしか申し込めなかった。今思い返せば、もっと多くの奨学金に申し込めばよかったと後悔している。

肝心の結果は、DAADは面接落ち(結果がわかったのは2月)、JASSOは書類落ち(結果が出たのはその前年の12月)であった。そしてそれらに追い打ちをかけるかのように、シュツットガルト大学からの不合格通知が3月にやってきた。

3回連続でお祈りメールが来た時はかなりへこんだ。1年以上かけて準備してきたものがすべて否定されたかのようだった。ほかの大学に応募しても、落ちるのが関の山ではないか、とも思った。

それでも、あきらめずに出願した。すると、5月中旬にルール大学から合格通知のメールが届いた。続いて、5月末にミュンヘン工科大学から合格の知らせが来た。7月には、ドルトムント工科大学から合格通知が届いた。

3連敗という絶望からの3連勝という返り咲きである。合格通知が来たときは、とんで喜んだ (笑)。どの大学に進学するか少し迷ったが、最終的にミュンヘン工科大学を選んだ

話は変わるが、日本では大学卒業は3月、そして留学開始は基本的に秋なので、何もしなければ半年の空白が生まれてしまう。したがって、リスク管理をしっかりしておかないと、ぷー太郎になる可能性がある

ちなみに、私は関西大学の大学院に進学し、ドイツの大学に受かったらそっちに行くということにしていた。そういう形になったのは、修士号は絶対にとりたいという気持ちが自分の中で強かったからだ。

もちろん、そのことは指導教員にあらかじめ伝えてあり、了承を得ていた。教授は私のわがままに怒ることなく、むしろ「若いうちに挑戦しておきなさい」と私の背中を押してくれた。

私は同じ大学に残ることでぷー太郎になるリスクを回避したが、それ以外にも方法はある。外資系の企業で半年インターンシップをするのもありだし、お金があるなら現地に早入りしてそこの生活に慣れるのもありだ

ドイツ留学開始 [苦労の連続]

写真はミュンヘンの新市庁舎とシンボルである教会。

教授の言葉

ミュンヘン工科大学は2学期制をとっており、冬学期 (Winter Semester) が始まるのは例年10月の半ばだ。

授業が始まる前の1週間、オリエンテーションがあった。オリエンテーションの1日目は、学位プログラムについての説明とキャンパス案内だった。プログラムの説明中に、教授がこんなことを言った

ドイツで就職するつもりなら、成績は最低でも2.5はとっておきなさい。それから、卒業までにドイツ語のレベルはB2 (せめてB1) に達していることが望ましい

ドイツでは大学の成績が重視される。学部から修士/修士から博士に出願する時、それから会社に応募する時、大学の成績がそれなりに見られる (実際どこまで考慮されているかは不明)。いずれにせよ、成績があまりにも悪いと苦労するよ、というのが教授の主張であった。

ドイツの大学の成績評価システムでは、最高合格点が1.0 (GPAにおける4.0)、最低合格点が4.0 (GPAにおける1.0)というのが一般的

ミュンヘンは住宅難

ミュンヘンは住宅難である。どれくらい住宅難かというと、空き部屋の情報がインターネットにあがると、1週間もたたずに100件以上のメールが来るくらいだ。

住宅難ということは、必然的に大家の立場の方が強くなるし、家賃も上がる。ミュンヘンできちんとしたワンルームの部屋を借りるなら、最低でも900€くらいはする。ちなみにドイツにはWG (ルームシェアのようなもの) があるのだが、WGをやったとしてもミュンヘンなら月600€はくだらない

「学生なら寮に住めるのでは」と思われるかもしれないが、実はミュンヘンの学生寮はすでにパンク状態で、寮の申請をしてから入れるようになるまでに1年半ほどかかる (交換留学生は例外で、優先的に入れる)。

そんな状況なので、学生間では「試験に受かるよりも部屋を見つけることの方が難しい」とよく言われる (笑)。(ぼくの場合、ミュンヘンに知り合いがいたので、その人に助けてもらった。)

とはいうものの、ミュンヘン自体は街並みがきれいで治安もよく、とても住みやすい

アドバイス
ミュンヘンの住宅難が改善される見通しはないように思います。また、KVR (住民登録やビザの申請をするところ) もパンクしているような印象を受けます。これからミュンヘンに来られる方は、そういったことをある程度覚悟しておいてください。

みじめな生活

知り合いの助けもあって、無事にミュンヘンで部屋を見つけることができたのだが、部屋の質はおせじにもよいとは言えなかった

まず、部屋はホテルの一室を改装したものであったため、台所がなかった。台所がないということは流し台もないので、食器はバスルームの洗面台で洗うしかなかった。それだけならまだよいのだが、洗濯機は部屋にはなく、建物に1つしか設置されていなかった。

それの何が問題かというと、同じ棟に住んでいた人たちは、モラルがなっていない人が多かったのである(おそらくジプシーと呼ばれる人たち)。たとえば、自分が洗濯機を使いたいがために、人が洗濯機をまわしているのを途中で止めて、洗濯物をすべて外に出し自分が洗濯を始める、なんて輩もいた。(私は2回ほどやられた)

そんな状況では安心して洗濯できないので、コインランドリーに通っていた。当時の季節は冬で、雪の振っている日もあったが、それでも洗濯物を抱えてコインランドリーに行っていた。今となってはよい思い出か (笑)。

ほかに残念だったことと言えば、WiFiの接続が弱すぎたことだ。Facebookがかろうじてつながるかくらいの状態で、データ量が大きいもの (たとえば動画) には対応していなかった。それでいて、WiFI料金は毎月オフィス (電車で片道1時間かかる) に行って現金で支払うという謎のシステムだった。大家に対してオンラインでの振込や他社とのWiFi契約を提案したが、どちらも却下されてしまった。

繰り返しになるが、ミュンヘンは住宅難なので、大家の立場の方が圧倒的に強い。多少劣悪な環境でも、住めるところがあるだけまだマシという感じであった。修士のプログラムで新しくできた友達の中には、部屋が見つからなかったために、学生寮の一角にあるシェルターのようなところに住んでいた人もいた。

何はともあれ、半年後にはよい物件と巡り合い、そこに引っ越しできた。ただ、最初の半年はすごくみじめな思いをしたし、自分の無力さを痛感するだけであった。留学が始まるまでは、学業以外のことでこんなに苦労するなんて微塵も思っていなかった。

COMEについて

ここで、私が在籍していたComputational Mechanics (COME) という修士のプログラムについて少し紹介する。(興味のない人は読み飛ばしてください)

COMEは2000年に設立された修士のプログラムで、学生は有限要素法 (FEM) や数値流体力学 (CFD)、Optimizationなどを体系的に学ぶ1学年の人数は40人ほどで、毎年、世界中から学生が集ってくる (各国1~2人)。COMEはドイツの大学のプログラムであるにもかかわらず、ドイツ人はあまりおらず (多くて4、5人)、国際色豊かという一風変わったプログラムでもある。 (設立が2000年ということは、ミュンヘン工科大はこの頃から大学の国際化に力を入れていたのでは)

写真はCOMEの学生たちとクロアチアに両行した際にとったもの。

ちなみに、COMEの姉妹プログラムとしてComputational Science and Engineering (CSE) がある。こちらのプログラムは情報系の学部によって作られたもので、COMEよりもプログラミングに重点が置かれている。

COMEとCSEであれば、プログラムの運営はしっかりしているし、大企業 (Siemens、BMW、Airbusなど) でインターンをするチャンスもある。挑戦したい人はぜひ。

ちなみに、ドイツの大学の修士課程は、基本的に座学中心である。プロジェクトがあったりするが、特定の研究室に所属して2年間がっつり研究するというのは一般的ではない。

ドイツ留学1セメスター目

プレッシャーとの戦い

留学の最初の半年は常にプレッシャーとの戦いだった。

というのも、私は専門科目を英語で受けたことがなかったうえに、学部から修士にかけて大学のレベルをすごく上げていたので、「卒業できなかったらどうしよう」と不安に思うことがよくあった。しまいには、すべての期末試験に落ちるという夢を何回も見た

おまけに、教育システムや文化の違いに戸惑ったり、住んでいる部屋の環境がよくなかったりと、事あるごとにストレスを感じていた。(私がドイツで受けたカルチャーショックは「ドイツでうけたカルチャーショック [日独文化の違いについて]」という記事にまとめてあります。)

そんな中、ある科目の中間試験があった。試験時間は45分。成績は合否のみで、これに受からないと期末試験が受けられないという決まりだった。

試験の問題量は多かったものの問題自体は簡単だった。時間内にすべての問題を解き終えたので、絶対に受かっているだろうと思ったしかし、結果は不合格。何度も確認したが、不合格は不合格。

どうしても腑に落ちなかったので、中間試験に落ちたことを友達に相談したら、「絶対に確認したほうがいい」と返された。そこで試験の担当者にメールを送ってみたところ、実は自分が合格していたことがわかった。あれは本当に心臓に悪かった。

ドイツに留学した当初、日本の友達から「ドイツ留学うらやましい」などと言われることがあったが、当人はそれどころではなかったのだ (笑)。

アドバイス
正規留学は最初の半年が勝負だと思います。そこをうまく乗り越えられるかどうかで、その後の留学生活が大きく変わってくるでしょう。それから、ドイツの大学には期末試験の採点を確認できる、というルールがあります。自分が思っていたテストの出来と実際の結果が違う場合は、必ず確認した方がよいです。

授業と期末テストについて

ミュンヘン工科大学の授業スタイルは、教授が授業をして学生がそれを聞くというのが一般的だ 。学部や科目によって多少違いはあると思うが、日本の大学の授業スタイルとそこまで差異はない。とくにCOMEに限ったことであれば、宿題はほとんど課されず、評価は試験の成績のみでの判定ということが大半であった。

ミュンヘン工科大学と日本で通っていた大学との大きな違いと言えば、授業と試験の登録が分かれていたことである。ミュンヘン工科大学では、どちらも自由に登録でき、大学側からの催促メール (必修科目はとりなさいみたいなもの) は基本的に来ない。

そのため、学生は自分のペースで単位を取得していかなければならない。それから、就職状況の確認メールなどもまず来ない。一言で言ってしまうならば、放任主義か。ちなみに、授業登録をするだけして、受けたい試験だけ受けるといった荒業も可能である。

もう1つドイツの大学 (とくに工学系) で特徴的なことと言えば、試験が厳しいことである。どう厳しいのかというと、与えられた試験時間に対して、やけに問題数が多いのだ。わかりやすく例えるなら、センター数学IA・IIBを大学レベルの問題にして、両方合わせて60分で解かせるといった感じだ (あくまで目安)。

そこまで行くと、理解力を問うているのか、問題を解くスピードを問うているのか、わからなくなってくる。学生を落とすためにわざとそんな形式にしているのではないかと疑わずにはいわれない。

写真はミュンヘン工科大のキャンパス。実際に私が通っていたところ。

強者たちとの出会い

COME (私が所属していた修士のプログラム) の学生はみな総じてレベルが高かった。というより、デキる学生を大学側が選んでいると言った方が正確かもしれない。

実のところ、COMEには毎年800人くらい応募者が集まり、受かるのは50人くらいなのだ。これはCOMEに受かった後で聞いた話で、当時の私は「この倍率で、ぼくのどこに受かる要素があったのだろう」と疑問に思っていた。正直、COMEを卒業した今でも同じことを思っている (笑)。

何はともあれ、COMEの学生は国際色豊かであった。中国やインドはじめとするアジアの国々、北米や中南米の国々、ヨーロッパの国々、そしてアフリカの国々、いろんな国からバランスよく学生が集められていた。

同じ学年で特に印象的だった学生は、アレクというロシア人の学生とチューとう中国人の学生だった。

アレクはCOMEに飛び級で入ってきたらしく、当時はまだ20歳だった (通常より2年ほど先取りいるではないか)。それにもかかわらず、成績はほぼ1.0と学年トップクラスだった

それまで私は飛び級の学生なんて見たことがなかったので、どこか遠い世界の話だと思っていたが、アレクの実力を目の当たりにして、そういった世界があることを受け入れざるをえなかった。

チューも成績がよかった。1の前半はあったと記憶している。彼とはよく一緒に勉強したのだが、そのたびに彼と自分の実力差を痛感した。文章で表現するのは難しいが、自分より一段も二段も深く理解しているのがはっきりとわかる、そんな感じだった。

ある日、チューに彼の出身大学について聞いてみたところ、「武漢大学。中国で10番目くらいの大学かな」と返された (武漢はコロナ騒動でおなじみの都市)。彼の返答を聞いて、背筋がゾッとしたのを今でも覚えている。おそらく、中国人学生の層はわれわれ日本人が想像している以上に厚い (ちなみにインド人学生の層も厚い)…

ドイツ留学2セメスター目

Software Labという名の搾取プロジェクト

COMEの必修科目には、Software Labというプログラミングの実践授業がある。Software Labでは3人1組のチームで1つのプロジェクトを半年間かけてこなしていくのだが、これがかなり鬼畜な内容であった。

というのも、週に10時間以上の作業が課されるのに対して、もらえる単位数はたったの6 ETCS (座学1科目相当) なのだ (もちろん、ほかの授業や試験と並行)。おまけに、プロジェクトの担当者が厳しければ、週2でミーティングをしたり、アプリを1から開発したり、といった感じだ。

普通、それだけの作業をするなら研究補助という形で給料がもらえるのだが、Software Labはあくまでも「学生のための授業」なので、賃金は一切発生しない。必修科目なので逃げるわけにもいかない。プロジェクトを提供している側からすれば、こんなに「おいしい授業」はないだろう

ブログに力を入れるも挫折

自分の留学経験を発信したいという思いから、個人ブログを始めてみた。初めのうちは「ブログで少し稼いで生活費の足しにしよう」などと欲を出していたが、その考えは甘く、ブログの収益化には失敗した

知っている人も多いと思うが、ブログ収益化のサービスとして、グーグルアドセンスというものがある。これはコンテンツ連動型の広告で、サイト利用者が広告をクリックすればブログ運営者に一定額の報酬が入るという仕組みになっている。

ただ、誰でもグーグルの広告を貼れるわけではなく、ちゃんと審査に合格しなければならない。私のブログは残念ながら、審査を通ることができなかった (半年ほど頑張ってみたのだが)。

したがって、このブログはグーグルの広告を貼っておらず、それゆえにグーグルからの収益はゼロだ。正直な話、ブログで1円も稼げないことに絶望して、ブログを辞めようと思ったことが何度もある。ブログなんてやらずに、ドイツ語を勉強したり、大学で研究補助をしたりした方がよかったのではないかと後悔したこともある。

それでもブログをやめなかったのは、ブログを通して連絡をくれる人がいたり、同じような志を持つ人たちとつながることができたりしたからだろう。実は、COMEの1つ下と2つ下の学年には日本人学生が1人ずついるのだが、彼らと出会えたのはこのブログのおかげだったりする (下の写真は3人で一緒にご飯を食べた時のもの)。

ほかにも、農学を学ぶ日本人学生から留学相談を受けたことがあり、結果的に彼はドイツの大学の修士課程に進むことになった。

この勢いで、私たちの次の世代、そのまた次の世代が感化されて、留学に興味を持ってくれるようになったら、私としてはこんなにうれしいことはない

人生の路頭に迷った3セメスター目

ドイツに来てから1年後の2018年10月、両親がミュンヘンを訪れてくれた。1年ぶりの再開ということもあり、楽しい時間を過ごせたのだが、両親に連れ添って観光をしたことで、自分がドイツのことをほとんど知らないことに気づいた

それもそのはずで、ドイツに来てからの1年間、ほとんど大学と家を行き来していただけだったのだ。大学では英語ですべて完結してしまうので、ドイツ語は使わない。友達と遊んでも英語だけで事足りてしまう。

そんなわけで、私のドイツ語はまったく成長していなかった。おまけにドイツ社会にまったく入っていけていない自分を見つけてしまった、というわけである。

さて、両親が日本に帰国したあたりから、自分の進路について (もっと具体的に言うなら、ドイツに残るか、日本に帰って就職するかについて) 真剣に考え始めた。

ドイツで就職するということであれば、ドイツ語がある程度話せないと厳しい (教授の言葉を借りるのであればB1)。おまけに、会社での就労経験 (インターンシップなど) が必須といっても過言ではない。本命の学業以外のこともやるのであれば、卒業を半年伸ばすのが妥当になってくる。

一方で、日本に帰るのであれば、ドイツ語は必要以上に勉強しなくてよいし、インターンシップの経験もいらない。4セメスター目に修士論文を書いて、そのまますぐに仕事を始めるのが妥当だろう。

これに関しては、本当に悩んだ。2ヶ月ほど悩んだ末に、ドイツに残ろうと決心した。この時は長期的な計画として、ドイツで10~15年ほど働いて、その経験を日本に持ち帰ろうと考えていた

ドイツに残ると決めたので、ドイツ語の勉強を本格的に始めた。ただ、専門科目を学びながら、ドイツ語も勉強するというのはそんなに簡単なことではない。それまでドイツ語を勉強してこなかった分頑張らなければならなかったのだが、ドイツ語に力を入れ過ぎて、自分の専門がおろそかになってしなっては元も子もなかった。結局、本腰を入れ始めた12月から3月までの4ヶ月で、A1レベルを終わらせるにとどまった

話は少し戻るが、ドイツに残るということであれば、ドクター (博士課程) に進学するのも1つの手だ。ドイツでは博士号持ちの人の社会的地位は高いので、仮にドクターをやったとしてもまったく損にならない。ただ私としては、工学の分野で無理に博士号をとる必要があるのだろうか、というのが正直な考えであった。

パートタイムとして働きながらドイツ語を勉強 [4セメスター目]

ドイツでは学生であっても、年間で120日まで働ける使用になっている。会社でのWerkstudent (週20時間労働) やPraktikum (フルタイムのインターンシップ) 、大学でのHiwi (研究補助など) があり、WerkstudentとPraktikumであれば月に1000€くらい、Hiwiであれば月に最大450€稼げる (日数や給料は今後変わる可能性あり)。

私は2019年の年明けあたりから、インターンシップなどを探し始めた。手始めに、以前BMWでインターンシップをした友達から、その時の上司を紹介してもらった。紹介してもらった人からは前向きな返事をもらったのものの、その人がドクター論文を書き終えるということもあり、インターンシップの話はそのまま流れてしまった。

ほかに、Porscheの研究所 (シュツットガルトにある) でインターンシップをする話もあったのだが、引っ越しの手配がうまくいかなかったので断念した。結局、TDKという日系の会社と縁があり、そこでWerkdtudentをすることになった

声をかけてくれた人事の人 (ドイツ人) は私の長期計画に賛同してくれて、彼と私の間では学位取得後はそのままTDKのヨーロッパ支社に残るということで話が進んでいた。(結果的に、それは叶わなかったのだが)

Werkstudentに関しては、会社で就労経験を積めたのが非常によかった。研究開発に携われたり、責任のある仕事を振られたりと、自分が思っていた以上のことを経験することができた

それ以外の時間はなるべくドイツ語の勉強にあてた。具体的には、大学で開講されるドイツ語の授業を受けていた。あとは、日本語を勉強しているドイツ人と定期的に会って、ドイツ語の練習をした (いわゆる言語交換)。

ドイツの田舎で修士論文を書く[5セメスター目]

諸事情でドイツの田舎で修士論文を書くことになり、TDKからTDK Electronicsというドイツの会社に移ることになった。TDK ElectronicsはもともとEPCOS (ジーメンスと松下電器のベンチャーが発端) という会社で、TDKに買収されて名前が変わったものの、依然としてゴリゴリのドイツ企業だ。

田舎に引っ越した当初は、ミュンヘンへのこだわりが捨てきれずにいたのだが、ふとあることに気づく。それは、ミュンヘンにこだわっていたのは、ミュンヘンがとても好きだからというよりも、ミュンヘンに友達がいたからということだった。

ほかにも、ミュンヘンにいた時、月600€ (70000万円くらい) の部屋に住んでいたのだが、それに疑問を持つようになった (新しい部屋は月300€)。さらに、ドイツに残ることが自分にとって本当によい選択肢なのか、もう一度考え直すようになった。

住む場所が変わったことによって、それまでの自分を客観的に見つめなおすことができたというわけだ。(ちょうど、日本からドイツに来て、いろんなことに疑問を持ったように)

肝心の論文執筆の方は、可もなく不可もなくという感じだった。学位取得後は同じ部署に残って働きたかったのだが、枠がなかったためにそれは叶わなかった(インターンをしたり、論文を書いたりしても、その会社に残れる保証はない、というのはよくある話)。ただ、ボスはとてもいい人で、ほかの部署で枠が空いていないか確認してくれたり、ほかの会社で働いている知人に声をかけたりしてくれた。

しかし、コロナ騒動 (後述) などもあり、3月の卒業までに進路を決めることはできなかった。それでもボスは、私が行き場所を失わないように、4月と5月の間だけパートタイムの契約を結んでくれた。

写真は家の近くを散歩したときにとったもの。

卒業のタイミングがコロナ騒動と被る

中国の武漢で新型コロナウイルスが流行し始めたのは、1月末くらいであった。当時の私はニュースなどでコロナの存在自体は知っていたものの、対岸の火事くらいにしか思っていなかった

しかし2月に入って、イタリアで一気に感染が拡大したあたりから、雲行きが怪しくなった。3月の頭にはヨーロッパ全土にコロナが広がっており、手が付けられないような状態だった。

その時期には、TDK Electronicsでも対策が講じられるようになった。3月中旬には、工場を閉めるかどうかという議論までされた (結局、閉めなかったけど)。私がいた部署では、すぐにリモートワークが導入された。

修士論文の提出は2020年の3月末であったものの、コロナ騒動による影響はそんなになかった。強いて言えば、3月の最終週がホームオフィスになったことと、論文の発表がオンラインになったことくらいだ。

その一方で、ドイツでの就職は一気に厳しくなった。企業からしてみれば、新しく人を雇っている場合ではない、といった感じである (業界にもよるが、製造業は大打撃を受けたように思う)。TDKに残るという話も自然消滅してしまった。

というわけで、私の長期計画 (ドイツで働いてその経験を日本に持ち帰る) は、絶望的になってしまった。「もし卒業を半年伸ばさなければ、コロナ騒動の前に職にありつけていたのではないか」などと考えもしたが、そんな都合のよい世界は存在しない。

まあ、これも1つの試練と捉えて、攻略していくしかないのだろう。苦しいのはみんな同じなのだ。

ドイツ留学を通して得たもの

私がドイツ留学を通して得たものはたくさんがあるが、中でも特筆すべきことは以下の3つだ。

高等教育を英語で受けたこと

授業やプロジェクト、発表、論文の執筆をすべて英語で行ったおかげで、英語で何かを学ぶことに心理的な抵抗が一切なくなった。とくに専門的な内容に関しては、英語で調べることの方が多くなった。

英語で学ぶことができるということは、インターネット上にある、無料で質の高い動画や本を存分に活用できるということだ。これはこれからの自分の人生において、大きな武器になるだろう

(本来ならば、ドイツに住んでいたのだから、ドイツ語はもっと上達しているべきなのだけど)

人との出会い

これから研究者や技術者になる、世界各国の学生とともに勉強できたことは、自分にとって大きな価値があったと思う。

それから、同じような志を持って留学している日本人学生や、すでにドイツで働いている人との出会いも、自分の中で大きな意味を持っていた。とくに、勉強に対するモチベーションを保つという点で、彼らの存在は大きかった。

授業を受けるだけならオンラインで事足りてしまうこの時代に、留学する意味は何かと問われたら、それはインターネットで再現するのが難しいこと、つまり、人との出会いや異文化での生活経験になるのではないだろうか。

ドイツの労働環境を実際に体験

フルタイムの契約ではなかったものの、ドイツの会社で就労経験を積むことができたのは自分にとって良かった

巷ではドイツの働き方は効率的、休みがいっぱいなどと言われるが、その実際のところを内側から見ることができたのは大きい (これに関しては、また機会があればその時に詳しく書きます)。

謝辞

末筆ながら、私の留学を支えてくれたすべての人に深く感謝します (なんだか論文みたいになってしまったけど)。とくに、この留学を最初から最後まで支えてくれた両親には感謝してもしきれません。

さらに、COMEを通して知り合った人たち、ともに切磋琢磨した友達、そして会社で知り合った人たちにも深く感謝します。

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