プロフィール

簡単な自己紹介

本名:山本勇一

専攻:機械工学、計算力学

所属:ミュンヘン工科大学

趣味:旅行、将棋、読書

身体能力:日本人男性の平均

アルコール耐性:弱

怒られ耐性:強

生まれは千葉県10歳の時に親の転勤で兵庫へ。関東に10年、関西に10年住んでいたので、標準語と関西弁を両方話せる (ということにしている)。中高6年間ソフトテニス部に所属。ポジションは前衛。目立った成績はなし。目が悪いのは、中学生の時にモンスターハンターをやりすぎたから (笑)。話の終わりにはオチをつけるようにしている。

中学・高校時代

中学編

出身中学は川西市立川西中学校。地元では、ヤンキー校と認識されていた。思い返せば、金髪に長ランの学生がちらほらいた。自分はそういった学生とつるむことはなかったが、彼らからは”いい感じに手を抜くこと”を学んだ (笑)。

 

部活動はソフトテニス部を選択。

ソフトテニスを選んだ理由は、仲のいい友達に誘われたから。(入部理由あるある) 顧問の先生は非常に厳しく、雪が降る日でもテニスの練習があった。そういえば、練習をダラダラやっていたことにお叱りを受けて、グランドを1時間走らされたこともあったような…

 

中学1年の秋にモンスターハンター (モンハン) と出会う。学校が終わればモンハン、土日もモンハン、彼女よりもモンハンというくらいモンハンにハマっていた半年たらずで、視力がA (1.0) からD (0.1) まで下がった。当時の彼女に会うことがあれば、盛大に謝りたい (笑)。

 

中学時代のモットーは、「いい感じに力を抜き、学年で上位10%くらいの成績をとること」 (笑)。(上位10%といっても、ヤンキー校だったので別に大したことはない。) そのため、テスト前でも普通にテレビを見たり、ゲームをしたりしていた。進学校に通っていたわけでもなかったので、勉強にはそこまで困っていなかった。

高校編

高校受験を無事に突破し、県立伊丹高等学校へ進学。伊丹高校を選んだ理由は、ゆったりとした校風が好きだったからあまりガリガリ勉強したくないという思いもあった。

 

伊丹高校は緑豊かな高校と地元ではよく知られており、校内には木がたくさん植えられている。私はその木の花粉にやられ、入学してからわずか2ヶ月で口腔アレルギーを発症した

それ以来、生のリンゴとなし、桃を食べることができなくなった (笑)。

 

入学当初、硬式テニスをするか、軟式テニスをするかで非常に迷った。結局、友達に誘われて軟式テニスを選んだ

まあ、その誘ってくれた友達は最終的にラグビーに入ったのだが (笑)。

 

高校2年生の時、遊戯王カードにハマった。親からもらったお小遣いはすべて遊戯王カードへ。また、部活終わりに友達と遊戯王をして、家に帰るのが11時ということもあった (笑)。母親にはよく怒られた。

 

中学時代に引き続き、高校時代のモットーも「いい感じに力を抜き、学年で上位10%くらいの成績をとること」 (笑)。(上位10%といっても、進学校ではなかったのでそこまで大したことではない。) 理系を選んだのは、数学と理科が得意だったから。

英語は暗記することが多いわりに役に立たなかったため、とても嫌いだった。現代文や古文、漢文に関しては、学ぶ意義さえ理解できなかった(笑)。

 

高校3年の夏のセンター模試で、英語40点 (200満点中) を取得。

絶望的な結果に危機感を覚え猛勉強を開始。しかし、夏休みが終わったところでガス欠。受験生という身でありながら、クラスメートの家に泊まり込みでゲームをすることもあった。当時の心境は、「周りが勉強してないから別にいいじゃん」であった。

 

そんな状況で勉強がはかどるはずもなく、センター試験はうまくいかなかった。(全教科で7割程度。英語は8割とれていた。) そこからエンジンがかかるわけもなく、受験した国公立大学はすべて落ちた。それでも関西大学 (関西では割と有名な私大) には受かっていた。浪人は絶対にしたくなかったので、関西大学・システム理工学部・機械工学科に進学。機械工学を選んだのは母親のススメによる。

 

こんな感じで、私の中学・高校時代はものすごく平凡なものであった (笑)。

大学時代

国際交流団体ISAとの出会い

高校生の時に見ていたテレビなどの影響で、海外に行ってみたいという気持ちはもともとあった。そこで出会ったのがISAという国際交流団体だった。ISAの説明会に行った際、個性豊かな先輩達に惹かれ入部を即決。(世界一周した人や英語がペラペラな人、中国語がペラペラな人、めちゃくちゃ面白い人などがいた。)

 

大学1年の夏、ISAのプログラムでフィリピンの大学生・エドワードをホームステイさせた。

その際、文化の差や考え方の違いを肌で感じた。それが自分にとってはとても新鮮だった。たとえば、彼はとてもお金持ちだったので、事あるごとにおごってくれた。フィリピンでは、お金を持っている人がおごるのが当たり前なのだそう。私が彼におごると言っても、彼は一度も耳を傾けてくれなかった (笑)。同時に、自分の英語力の低さを痛感した。そこで、海外ドラマを活用して、話せる英語を習得しようと努力し始めた。

このあたりから、自分の頭で考えて行動する人間に変わり始めた。

 

大学1年の終わりに、ISAのプログラムでフィリピンへ。プログラムの内容は、裕福な家庭でのホーステイと農村地帯での滞在を通して、貧富の差を知ろうというものであった。

このプログラムでエドワードと再会を果たす。海外ドラマで英語を勉強していたおかげで、リスニングができるようになったと実感できた。しかし、思っていたほど英語を話せるようにはなっていなかった。(当時の実力はTOEIC700点) あと理由はわからないが、フィリピンではすごいモテた (笑)。

 

大学2年の終わりに、ISAのプログラムでベルギーへ。プログラム名はインターナショナルウィーク (IW: International Week)。IWには加盟国の団体からそれぞれ1~2人が招待され、1週間を共にする。参加費はなんとタダ

異文化・異人種が入り混じるプログラムであったため、毎日がとても刺激的であった。朝の3時までクラブで踊るという日もあった (笑)。

ベルギーに行くついでに、ヨーロッパのほかの国も訪れた (ポーランド、ウクライナ、チェコ、オランダ)。その際、ウクライナでホーステイをさせてもらった。

ヨーロッパの学生の英語力の高さに刺激を受け、英語学習を続けることにした。

 

大学3年の夏、関西のIWに参加した。IWに参加した理由は、よい意味での刺激が欲しかったから。そこで今の彼女 (ブルガリア人) と出会う。

ぼくが実践していた英語学習法に興味のある方は、英語を楽しく学ぼうをご覧ください。

アメリカ留学

大学4年を休学して、アメリカ・シアトルに留学することを決意 (留学前の実力はTOEIC800点後半)。

留学を決意した理由は、単に英語力を上げたかったのと異なる文化的背景を持つ人ともっと交流したかったから。それと、自分の人生をどうしたいか決めきれていなかったから。関西大学には理系の協定校がほとんどなかったため、IBPというビジネス留学を選んだ。

異国の地で長期間過ごしたことにより、親の加護がないことがどういうことかを初めて実感した。そのまま社会人になることにものすごく不安を覚えた。

それだけでなく、マイクロソフトやアマゾンで働く人と話をした際、自分の専門性のなさを痛感した。

そこから、海外の大学院に進学することを決意。理由は主に3つ

1. 自分の専門知識・能力を磨きたかったから

2. アメリカで経験した、国際的な環境 (いろんな国籍の人がいる環境) が自分に合っていると思ったから

2. 欧米では、エンジニアの待遇がよいから。(とくに収入面)

 

アメリカ留学中、彼女に会うために2回ヨーロッパに行った。ホストファザーは You gotta be kidding me. などと言っていたが (笑)。

(ポーランドのクラクフより)

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帰国後

帰国後、自分に知識という武器を身につけるため、いろんな本を読み漁った

月10冊は本を読むようにしていた。

 

大学4年生の時に所属していた研究室は材料工学研究室・ナノ班。分子動力学法という手法を用いて、原子・分子レベルのシミュレーションを行っていた。自分の専門知識に磨きをかけたかったので、研究には力を入れていた

 

同時に、海外大学院進学への準備も進めていた。また、英語力を落とさないために毎日英語に触れていた。

ぼくが今までに読んだ本に興味のある方は、おすすめ本のページをご覧ください。

海外大学院に興味のある方は、海外(ドイツ)の大学院に合格するまで!!をご覧ください。

大学院~現在

現在はミュンヘン工科大学の修士課程に在籍

ドイツの大学院を選んだ理由は、理論(数式、物理法則)がしっかりしているから。あと、学費がほとんどかからないから。彼女との将来も考えて。

同じ専攻内で日本人は自分のみ。今の学習環境にはすごく満足している。博士課程に進むかはわからないが、ドイツで就職するつもり。

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