ぼくがフィリピンで得たもの [貧富の差を知って]

philippines

今回の投稿では、ぼくが学生プログラムでフィリピンを訪れた時のことをまとめてみます。

ぼくがフィリピンを訪れたのは2013年の3月です。当時のことを思い出しながら、その時感じたことや今だから思うことをうまく言葉にしていきます。

フィリピンに行くことになったきっかけ

実はフィリピンを訪れた前年(2012年)の夏、ぼくはフィリピンの大学生・エドを自分の家にホームステイさせていました

そのホームステイは学生プログラムの一環で、サークルの先輩のお手伝いという色合いが強かったです。当時のぼくは深く考えておらず、ホームステイの役を引き受けたのも軽いノリに近かったです。

ホームステイが始まる1か月前になって、フィリピンの学生が来ると言われた時も、まだそこまで実感がありませんでした。「やべー。英語話せねぇ」くらいの感じでした。

さて、エドと初めて出会った時のことは、今でも鮮明に覚えています。

大阪の梅田駅で会って、軽く自己紹介をした後、地下のカフェに行きました。エドは地元ではかなりの金持ちらしく、その場にいた人全員(4~5人)におごっていました。ぼくも例外ではなく、ケーキを買ってもらいました。

本当はぼくが接待する側だったので遠慮していたのですが、エドはまったく聞く耳を持ちませんでした。それからも、何回もエドにおごられました

ちなみに、当時のぼくは全然英語が話せなくて、単語を3つ並べた文章をなんとか絞りだすくらいが限度でした。それでも彼はとても気さくで、すぐに仲良くなることができました。(多分、彼が金持ちでなくても、同じ結果になっていたと思います。)

ぼくはそれまでフィリピンにまったく興味がありませんでしたが、エドと出会ったことで急にフィリピンに行きたいと思うようになりました。そんな時に知ったのが、フィリピンに行ける学生プログラムでした。

学生プログラムでいざフィリピンへ

学生プログラムは10日間で、概要は大学生の家でのホームステイと農家でのファームステイを通して貧富の差を知ろうというものでした。(マニラ1日、ホームステイ4日、農家4日、マニラ1日というスケジュール)

フィリピンの大学生の家でホームステイ

プログラムの1日目は、マニラ観光でした。現地の人についてもらって、一通り観光名所を回りました。

2日目にバコロドという島に行き、そこでエドとの再会を果たしました。そしてぼくの期待通り、エドの家でホームステイをすることになりました(おそらく、エドが裏で手をまわしてくれていた)。

エドが金持ちなのは前から知っていましたが、実際に家に行ってみるとすごかったです。まず、家は地元の高級住宅街にあり、住宅街の入り口には警備員がいました。ハリウッドセレブとまではいきませんが、雰囲気はそれに近かったです。

家に入ってみると、住み込みのメイドさんが3人いました。エドの部屋はバスルーム付きで30平米くらいでした。

ホームステイの間は、ずっとおんぶにだっこでした。最終日には、日本に持って帰るお土産も買ってもらいました。

ちなみにフィリピンで体験したカルチャーショックの1つは、人の体格に対する考えです。一般にフィリピンでは、ふくよかなことは裕福の象徴とされれます。

ぼくは身長175cm、体重60kgという体格で、日本では普通か、やせているくらいでしたが、フィリピンではよく「ガリガリだ」と言われました

エドとその友達には「お前はもっと太らないといけない」と喝を入れられて、ジョリビーに連れていかれ、ご飯をたらふく食べさせられました…

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ちなみにぼくはフィリピンに行くまで、フィリピンは貧しい国だとばかり思っていました。しかし、エドの家でのホームステイはとても豪華なもので、正直な話、日本にいた時よりもよい生活を送っていたのではないかと思います。

まあ、この後の農家での滞在を通して、フィリピンの貧富の差を知ることになるのですが(さらにその後で、マニラのストリートチルドレンを見ているので余計に)…

フィリピンの農家でファームステイ

エドの家での生活とは打って変わって、農家での生活はすごく貧しいものでした。

まず家にシャワーはなく、樽にたまっている水を桶で汲んであびる方式でした。また、トイレの便座はなく、便器の形をしたものが取り付けられているだけでした。

もちろん、Wi-Fiは通っていませんし、携帯も圏外です。虫はたくさん湧きますし、食べ物にはよくハエがたかっていました。

自分が想像していた生活よりもひどく、それまで持っていた自分の常識が崩れ去りました

さて、農家での滞在は4日間あったわけですが、その間特に予定は入っていませんでした。ほとんどの時間は、農家の子供たち子供たちと遊ぶか、もの思いにふけっているだけでした。

笑顔が素敵な子供たちですが、彼らはよい教育を受けることができません(日本の中学レベルの教育が受けられるかさえ怪しい)。また、彼らのほとんどは金銭的な事情により、一生バコロド島から出ることができません

一方で、日本人のぼくは当たり前のように大学に通っていますし、ほとんどの国にビザなしで観光できます。

つまり、生まれた場所が違うだけで、努力では変えられない差が生まれてしまっているということです。

当時のぼくはそんな彼らのことをかわいそうなどと思っていました。しかし、今では少し違う考えを持っていてます。(少なくとも、ぼくが彼らのことを下に見るのはおかしいと思っています。)

というのも、彼らにとってはその生活が当たり前で、その中に生きがいを見出しているのです。もし彼らが幸せだと感じていれば、それはそれでよいのだと思います。

確かに、日本の一般的な生活の方がはるかに清潔で便利なことは間違いないでしょう。でも、今の便利な生活が本当にぼくら日本人を幸せにしているかはわかりません

というより、幸福とは相対的なもので、生活の水準がものすごく高い今の日本では、幸せになることがその分難しいのだと思います。

実際、残業だらけの日本のサラリーマンと毎日バスケを楽しんでいるフィリピンの農家の子供たちでは、どちらがより幸せかわかったものではありません(この比較はおかしいかもしれないけど)。

大学生へのメッセージ

ぼくはフィリピンの学生プログラムに参加したあと、さらに海外に興味を持つようになりました。

結果的に、ヨーロッパの学生プログラムに参加し、アメリカ留学を経て、今はドイツの大学で修士号をとるところにまで来ています。

人生とはわからないもので、あの10日間がなければ、ぼくは海外留学なんてしていなかったと思います。そして今でも、「日本の常識がすべて」だと思っていたことでしょう。

最後になりますが、海外に少しでも興味を持っている大学生は、とりあえず行ってみましょう。たとえ短期の滞在であっても、自分の中の何かが変わる可能性は十分にあります。

1つアドバイスをするなら、現地の大学生と交流したり、現地の生活を体験することをおすすめします。なぜなら、そうすることで気づくことがたくさんあるからです。

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