自分の中の当たり前を変えるには

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今回の投稿では、当たり前とは何だろうというところから始めて、ぼくの中での当たり前の変遷を紹介し、その後自分の中の当たり前を変えるにはというのを考察してみます。

当たり前って何だろう

少し硬いかもしれませんが、当たり前の定義を辞書で調べると、

誰が考えてもそうあるべきだと思うこと、当然なこと。 常識。 普通と変わっていないさま。 珍しくない様子。

と出てきます。つまり、当たり前とはみんなが当然だと思っていることです。

さてこの定義をもとにすると、コンビニは24時間空いているとか、電車は時間通りに来るとかは、日本人にとっては当たり前のことですね(これから変わるかもしれないけど)。

もっと言うなら、一日三食食べられて当たり前、住むところがあって当たり前、インターネットが使えて当たり前、学校に行けて当たり前、病院に行けて当たり前ですね。必ずしも全員がそう思っているとは言い切れませんが、多くの日本人はそう感じているでしょう。

一方で、同じ日本人同士でも当たり前だと思っていることが違っていたりします。

たとえば、お金持ちの当たり前と庶民一般の当たり前は違うでしょう。また、仕事をしている分野によって、当たり前は多少なり変わるでしょう。

簡単に言ってしまえば、当たり前というのはその人がどんな環境で育ったか、今どういう環境で生活しているかといったところに大きく依存するのです。

それから、国が違えば当たり前も変わってきます。日本で当たり前のことが、別の国行けばそうではない、なんてことが普通にあります。

同じ日本人であっても、時代が変わるにつれて、みんなの当たり前が移り変わっていきます。100年前の当たり前と今の当たり前は大きく違うだろうということは、誰でも簡単に想像できますよね。

結局何が言いたいのかというと、ぼくらが今当たり前だと思っていることは、これから変わる可能性が十分にある自分の当たり前が他人の当たり前と一致していないことがあるということです。

ぼくの中での当たり前とその変遷

高校生

高校生の時のぼくは、日本の大学に行って卒業したら日本の会社に就職して、そこで定年まで働くのが当たり前だと思っていました。

高校の雰囲気はとりあえず大学行くかみたいな感じで、大学に行くことが本当に自分にためになるか、みたいなことはあまり考えていませんでした(結果的には大学に行ってよかったのだけど)。

ましてや、自分が当たり前だと思っていることを疑ってみるということは、思いつきもしませんでした

それから、今でこそぼくは海外の大学で勉強していますが、当時は自分がそうやって海外に行くなんて微塵も思っていませんでした。当時のぼくにとっては、日本のテレビやネットを通して海外のことを知るのが当たり前だったのです。

大学生

初めて自分の中の当たり前が変わったのは、大学1年の終わりにフィリピンに行った時でした。

フィリピンでの滞在は10日間だけでしたが、現地の学生と交流したり、農家に泊まる機会がありました。とくに農家の滞在ではシャワーなし(桶で水を汲んであびる方式)、トイレの便座なし、Wi-Fiなし、携帯はもちろん圏外といった環境下で生活をしました。

その経験を通して、当時のぼくが当たり前だと思っていたこと(たとえばネットは使えて当たり前、水道水は飲めて当たり前など)は覆されました

だからといって何か特別なことをしたわけではありませんが、18、19歳の時に日本の当たり前がすべてではないということを知れたのは自分にとって大きかったです。何より、自分が当たり前だと思っていることを疑えるようになりました。

次に自分の中の当たり前が変わったのはアメリカ留学に行った時です。

ぼくは大学4年を休学してアメリカに行ったのですが、当時は大学卒業後の進路を決められずにいました。ぼくの大学時代の専攻は機械工学で、卒業後の進路と言えば就職するか、大学院に進学するかくらいでしたが、それがなかなか決められなかったのです。

また、新卒一括採用の制度自体にも疑問を持っていました。働く前に職務内容がわからない、職場の雰囲気もわからない、というのがどうしても受け入れられなかったのです。

さて、アメリカにいたのは1年だけでしたが、当時のぼくが求めていた答えを得ることができました。アメリカでは新卒一括採用は一般的ではなく、ポジションごとの通年採用が一般的だったのです(後で調べたところ、新卒一括採用をしている国の方が珍しいことがわかった)。

ほかにも文化の違いなどで自分の中の当たり前が変わることは多少ありましたが、ぼくの中では新卒一括採用がすべてではないということを知れたのが一番大きかったです。

大学院生

アメリカから帰国した後、日本の大学を無事に卒業し、ドイツの大学の修士課程に進むことになりました。

ここではドイツで暮らしたことによる、ぼくの生活面での当たり前の変化を紹介します。

ドイツに住んでみて「え!?」と思ったことはたくさんあります。たとえば、日曜日になるとスーパー・デパートが閉まるとか、サービスの質が日本に比べて悪いとかです。

でもそういう環境の中で長く暮らしていると、今度はそっちが当たり前になってきます。

今では、電車は基本的に混んでいないのが当たり前、サービスは最低限でよい(店員がスマホをいじっていてもそこまで気にしない)、日曜スーパーが空いていないのは当たり前、フレックスで働けるのは当たり前になってしまいました。

この話にもっと興味のある方は以下の記事をご覧ください。ぼくがドイツで受けたカルチャーショックをまとめています。

culture_shockドイツでうけたカルチャーショック [日独文化の違いについて]

自分の中の当たり前を変えるには

さてここからは、ぼくの当たり前の変遷を少し一般化して、「自分の中の当たり前を変えるには」というところにつなげてみようと思います。

ぼくの経験を振り返ってみると、それまで当たり前だと思っていたことが変わるのは、違う環境に置かれた時です。

なので、今の環境に疑問を持っている人は、まず環境を変えてみるとよいと思います。簡単なことで構いません。たとえば、普段出会わない層の人と話をしてみるとか(工学分野のぼくが芸術分野の人と話をしてみるとか)。

もちろん、海外に行くのもありです。個人的には、今の若い人たちには日本の外の世界を見てほしいと思っています。

海外に行くのであれば、現地の人と交流をして、現地の生活を体験することをすすめします。そうすることで、いろんな考え方に触れることができますし、新しい発見が得られます。

環境を変えることに抵抗を感じる人は多いと思いますが、現状に不満を感じている人は思い切って違う環境に飛び込んでみることをおすすめします。最初の一歩を踏み出す勇気が大事です。

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