今回は海外の大学、海外で働くことに興味のある方向けに、日本の高校から海外の大学に行き、博士号までとられた堺さんにインタビューしてきました。
堺さんの経歴
ーーまずはじめに、堺さんの簡単な自己紹介をお願いします。
出身は福岡で、高校まで日本にいたね。そこから、イギリスのバースに行って高卒認定をもらって、サウサンプトン大学で学士号をとった。
その後、ドイツのミュンヘン工科大学で修士号をとって、カールスルーエ工科大学で博士号をとった。今はミュンヘン工科大学で研究者(ポスドク)をしているよ。
専門は数値流体力学(CFD)で、研究テーマは乱流の基礎研究。2つ目の専門はHPC (High Performance Computing)と呼ばれるもので、シミュレーションのコードをスーパーコンピューターで解析しているよ。
日本の高校から海外の大学へ

ーーなぜ日本の高校から海外の大学に進学しようと思われたんですか。
当時通っていた高校が単位制で、もともと自由な感じがあったんだよね。実はイタリアに行ってシェフになることが子供のころからの夢で、高校生の時はイタリア語の勉強をしていたんだ。
でも高校3年生の時に夢が変わって、F1のエンジニアになりたいと思うようになった。F1のことについていろいろと調べたら、イギリスにF1のチームがたくさんあることを知ったんだ。
それが理由でイギリスの大学に行くことにしたってわけ。まあ、行き当たりばったりみたいなところもあったけど。
ーー海外の大学に行くと宣言した時、周りはどんな反応をしましたか。
実は高校を卒業してから、イギリスにいくまでに2年間のブランクがあったんだよね。母親が重い病気で倒れて、介護をしないといけなかったんだ。
母親が元気になったところで、海外の大学に行きたい旨を伝えたよ。母親は自責の念があったから、こころよく“いってらっしゃい”と言ってくれた。父親も“そうですか”くらいの反応だった。10歳くらいの頃から海外に行きたいってずっと言っていたから、両親は特に驚いた様子を見せなかったね。
ほかの親戚はかなりびっくりしていた。(日本的な感覚でいけば) ”介護してた間のブランクがあってもう人生失敗したようなもんなんだから、海外でわざわざ勉強なんかしないで遺産でも相続して生きていけば”みたいな感じだったね。でもそんな人生は歩みたくなかったんだ。
ーーイギリスの大学の学費は結構高いと聞きますけど、留学資金はどうされましたか。
留学資金は親に出してもらった。当時は円安 (1€が180円、1£が220~240円くらい) だったから、とても迷惑をかけたと思う。
お金を出してもらったことには、今でもとても感謝してるよ。あとは成績がそれなりに良かったから、大学から奨学金をもらっていたね。
ーー日本の高校から海外の大学にいきなり行くと言語の壁が立ちはだかると思うのですが、そのあたりはどうされましたか。
イギリスにいってもちゃんと生活できるように、日本で英会話学校に通っていた。積極的に英語をしゃべるようにしていたね。
あとは、オンラインで募集して見つけた福岡在住のジャマイカの人に英語で数学を教えてもらったりした。できる限りのことはして、留学に臨んだって感じ。
理工系は数学ができてしまえば、あとは結構なんとかなる。だから、そこまで英語に苦労した記憶はないね。文系だったらかなりしんどいだろうけど。
ーーイギリスの大学に通われた中で、なにか印象に残っていることはありますか。イギリスでのカルチャーショックなどがあれば、それについても教えてください。
サウサンプトン大学では、プレゼンをしたり、レポートを書いたりっていう授業が多かった。グループワークとかもあったし。課題をこなす力がついたっていう意味では、イギリスの大学に行ってよかったと思う。
あとは試験の数が多かったね。1日に2つ試験があるとかざらだったよ。それに加えて、学費が高かったから、1年卒業を先延ばしにしようなんてことはできなかったね。そういった意味では、一気に駆け抜けた感がある。
イギリスでのカルチャーショックはやっぱり階級社会だね。この時代にまだ残っているのかって感じだった。たとえば、バースはお金持ちが住むところで、サウサンプトンは労働者が住むところって感じ。
ドイツで修士号・博士号を取得

修士課程
ーーサウサンプトン大学を卒業した後、ドイツの大学で修士号をとろうと思われた理由を教えてください。
当時、親に援助ばかりしてもらうことに気が引けていたんだよね。あと数学の理論が少しおろそかになっていたんだ。そこで、学費がほとんどかからないうえに理論をしっかりと教えてくれる、ドイツの大学を選んだってわけ。
しかも当時のイギリスでは保守政党が政権をとって、外国人に対する風当たりが強くなったっていたから、イギリスを出るにはよいタイミングだったんだよね。
もともとコンピューターが好きだったから、ミュンヘン工科大学の Computational Science and Engineering という修士のプログラム (英語のもの) に応募したんだ。それに合格して、ミュンヘンに来たんだ。
ーーイギリスの大学とドイツの大学に通ってみて、ここが違うと思われたことはありますか。
イギリスの大学の授業では、生徒と教授は対等だから質問や議論がしやすい。さっきも言ったけど、レポート書いたりプレゼンをしたりっていう授業が多い。
ドイツの大学では、教授と学生の間に距離感があるね (少なくともぼくはそう感じた)。授業も教授の話を聞くだけの一方方向なものが多いし。あと、ドイツの大学は放任主義的なところがある。イギリスの大学と比べると、この単位とりなさいっていうのがあんまりなかった。
ーーミュンヘン工科大学に在学していた時にインターンシップをされましたよね。その時のことを振り返っていただけますか。
インターンをすることが卒業要件に入っていたんだ。MTU Aero Engines という航空エンジニアの会社でインターンをしていたよ。その時から数値流体力学 (CFD) が専門になっていたね。
インターン自体は3週間だけだったんだけど、与えられた課題のこなし方や最後のプレゼンの出来がよかったらしいね。
インターンの後、その会社で修士論文を書かないかっていう誘いがあった。「あぁ評価してもらえているんだ」と嬉しくなったし、上手くやればその後の就職も決まるなとの実感もあった。でもやっぱり企業での応用研究より、もっと基礎的な研究がしたいと考えて断らせてもらった。
実際の修士論文研究はゲスト研究生としてスイス連邦工科大学でお世話になったんだ。2週間に1回スイスに行って、あとはリモートって感じだったんだけど、スイス連邦工科大学の国際性を感じられてよい刺激になったよ。
博士課程
ーー博士号をとろうと思われた理由はなんですか。
簡単に言ってしまえば、自分の研究テーマである乱流に魅せられたんだよね。乱流に関してもっと深く知りたいという欲求があった。悩んだ時期もあったけど、やっぱり自分の専門を極めたいという気持ちが勝ったね。決めてからは一直線って感じで、後悔とかはなかった。
ーー乱流のシミュレーションを自分の専門にしようと思われた理由はなんですか。
実は、学部生の時は乱流の実験をしていたんだ。でも実験の準備にものすごく時間をかけないとだめなのが嫌だったから、知識をつけてシミュレーションをしようと思ったわけ。もともとコンピューターが好きだったしね。
ーー博士課程はミュンヘン工科大学ではなく、カールスルーエ工科大学でやられましたよね。そうなったいきさつを教えてもらえますか。
博士号をとると決めてからはいろいろと情報を調べた。日本の大学の研究室を回ったりもしていたよ。そのなかで大阪大学の教授と知り合って、カールスルーエ工科大学の教授を紹介していただいたんだ。
その後その教授に直接メールを送って、インタビューをしてOKをもらった。そこまで下調べはしてなかったんだけど、結果的によい研究室にめぐりあえたよ。
ヨーロッパ留学・移住を考えている方へ
ヨーロッパ諸国の政教分離の度合いは国それぞれだけど、日本に比べるとやはり宗教(キリスト教)の日常生活における影響は大きい。
特にドイツでは、政権政党の名前に「キリスト教」とついていたり、国が教会税を代理徴収するなど、西ヨーロッパ諸国に比べても宗教を意識する機会が多いね。
そんな環境なので、3大アブラハム宗教(ユダヤ、キリスト、イスラム)の共通の聖典である旧約聖書のあらすじを知っておくと、思いがけず役に立つ事があるよ。
旧約聖書に関してなら、以下の本がオススメ。物語形式でとても読みやすい。
堺さんの研究者(ポスドク)生活

ーーやっぱり人との出会いが自分の人生を変えますよね。今はミュンヘン工科大学で研究者(ポスドク)をされているということですが、仕事内容は主に研究と授業ですか。仕事はすべて英語でされていますか。
そうだね。最初は短期の契約(1年未満)でシミュレーションコードの最適化をやっていた。今はプロジェクトが変わって、コードを走らせる研究とコードを作成する研究を並行でやっている。授業を受け持つこともある。
今の契約期間は3年弱だね。ドイツの大学では、教授にでもならないと終身雇用はもらえないね。
業務は基本英語でやっているよ。今の同僚はドイツ人が多いから、ドイツ語でやりたいっていう人もいるけど、ぼくはそこまでドイツ語がうまくないからね。そこは合わせてもらっている感じかな。ミュンヘンだと英語だけでもなんとかなってしまうんだよね(笑)。
ーー今の仕事の待遇はどんな感じですか。給与面や有休に関すること、それから普段の仕事の忙しさについて教えてください。
今の仕事は公務員にあたるから、給料は一律に決められているね。博士課程1年目 (厳密には博士課程後期1年) で月給2000€ほど(手取り)あって、そこから少しずつもらえる額が増えていく感じ。
あとはクリスマスにボーナスがあるね。まあ、給料に関して不満はない。このあたりのことはインターネットで調べたらすぐにわかるよ。
有給は年間30日とれることになっている。研究の進み具合にもよるけど、有給は全部とっても全然問題ない。あくまで自己管理・自己責任って感じだから、まわりからのプレッシャーはほとんどないね。
今の研究室の教授は、自分の家族のために休みをとったりしている。上の人がそうしてくれると、下もやりやすいね。まあ、みんなが休めるってことはその間働いている人がいないわけだから、消費者としては困るわけなんだけど (笑)。
普段はわりとゆったりしているんじゃないかな。コードを書く時なんかは、家からリモートで働いているよ。そのへんはかなり自由にやらせてもらっているね。
基本的に、仕事ができていたら誰にも文句は言われない。あんまりゆったりしすぎると、自分の首をしめることになっちゃうけど。まあ結局のところ、自己責任だね。
堺さんからのメッセージ
自分の中では海外の大学に行くことは普通のことだから、なんで留学をしないのかよくわからないくらいの考えをもっている。だから、留学に行きたいなら怖がらずに行こう。
せっかく日本という裕福な国に生まれたんだから、その権利はどんどん使っていかないと。奨学金は探せばたくさんあるし、最悪自費でも行けるわけだし。
今留学をしている人はとにかく楽しむことだね。友達と騒いだりすることも含めて、ほかの学生とうまくつながりを作っていくことが大事。
今の時代に大学(とくに有名校)に通うことの利点は、将来色んな国で重要なポストを担っていく様な同級生たちと貴重な学生生活経験を実際に共有できるというところにあると思う。授業を受けるだけならオンラインでできてしまうからね。
堺さんイチオシの本元F1ドライバーの佐藤琢磨がF1に登り詰める迄の過程を書いた本。
幼少期からレースのエリート教育を受けながらF1まで到達するのが当たり前の時代に、佐藤琢磨は二十歳を過ぎてカートから始め、戦略的にヨーロッパをベースにして超短期間でF1まで到達した…
彼の生き様に自分を重ねていた高校生時代を思い出させてくれる一冊です。